上田桑鳩
1899–1968
兵庫県吉川町(現・三木市)生まれ。1929年に比田井天来の門下となり、1933年に金子鷗亭らと書道藝術社を、1940年に奎星会を設立。1951年に日展へ出品した《愛》が議論を呼び、1955年に日展を脱退した。前衛書の先駆者で、森田子龍、井上有一らの師。
- 《臨温泉銘》 折帖
- 《無題》 1954年 54×76.5 cm
「温泉銘」(おんせんめい)は、唐の太宗皇帝による書の古典。王羲之の筆意を受け継ぎ、行書で刻まれた歴史的な名碑。
展覧会 現代書顕彰シリーズ第7弾
2026年10月1日(木)–15日(木)
永井画廊(東京・銀座)
上田桑鳩 宇野雪村 森田子龍 井上有一
永井画廊は2023年から、「現代書の父」比田井天来の流れを汲む上田桑鳩、宇野雪村、森田子龍、井上有一らを中心に、現代書と戦後美術が熱く切磋琢磨していた時代に光を当て、世界的なアートの視野から現代書の意義を問う展覧会を続けています。
シリーズ第7弾となる本展のテーマは「臨書と創作のやりとり」です。画家の本領がデッサンにあるとすれば、書家にとってそれに当たるものは何か。もちろん同じではありませんが、その問いから浮かんだのが、古典を写す「臨書」でした。テーマは、シリーズにたびたび助言を寄せている墨人会会長・稲田宗哉の示唆によるものです。
歴史的な名品からの臨書と、そこから展開する創作。4人の仕事を並べ、それぞれの書家の本領に迫ります。
1899–1968
兵庫県吉川町(現・三木市)生まれ。1929年に比田井天来の門下となり、1933年に金子鷗亭らと書道藝術社を、1940年に奎星会を設立。1951年に日展へ出品した《愛》が議論を呼び、1955年に日展を脱退した。前衛書の先駆者で、森田子龍、井上有一らの師。
「温泉銘」(おんせんめい)は、唐の太宗皇帝による書の古典。王羲之の筆意を受け継ぎ、行書で刻まれた歴史的な名碑。
1912–1995
兵庫県大庭村(現・新温泉町)生まれ。1932年に上田桑鳩に師事し、1940年に奎星会の設立に参加。1956年に日展を脱退。大東文化大学名誉教授。1984年に毎日芸術賞を受賞。師・桑鳩に始まる前衛書の理論的完成者とされる。
「虢季子白盤銘」(かくきしはくばんめい)は、中国・西周時代晩期(紀元前9〜8世紀)の青銅器の大きな水盤に鋳込まれた金文。その拓本をもとにした臨書。
1912–1998
兵庫県豊岡生まれ。上田桑鳩に師事。1952年に墨人会を結成し、『墨美』を主宰。海外での展覧会の企画などを通じて、書の海外進出に大きな役割を果たした。
「建中告身帖」(けんちゅうこくしんじょう)は、顔真卿が72歳の建中元年(780)に書いた楷書の墨跡で、自筆の辞令。現存する顔真卿の肉筆の楷書として唯一のものとされる。出品作は、1984年に森田が「蒼龍通信」で地方の人たちの書を添削した際、参考として送った半紙の一字臨書(左上に「建中告身帖」のスタンプと印)を軸装したもの。
森田子龍について1916–1985
東京・下谷生まれ。1935年から41年余り、定年まで小・中学校の教員を務めた。1941年から51年まで上田桑鳩に師事し、1952年に墨人会の結成に参加。1957年のサンパウロ・ビエンナーレに日本代表として出品し、1959年にはドクメンタ(カッセル)に出品。1986年、京都国立近代美術館に代表作62点が収蔵された。
「顔氏家廟碑」(がんしかびょうひ)は、唐の忠臣で書聖として知られる顔真卿が、72歳の晩年に父・顔惟貞の廟のため自ら撰文し書いた、楷書の最高傑作。井上は晩年の1983–84年、全2,800字を原寸で全臨した。臨書がそのまま創作ともなった仕事。
臼田捷治 × 永井龍之介
臼田捷治(うすだ しょうじ) デザイン・文字文化ジャーナリスト。1943年長野県生まれ。早稲田大学文学部卒業。『デザイン』誌(美術出版社)の元編集長。現代装幀史、グラフィックデザイン、文字文化の分野で執筆し、現代書にも造詣が深い。
永井龍之介 鑑定士。
永井画廊
NAGAI Art Gallery
企画・主催:永井画廊
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